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喪服日誌

唐揚げだけが人生だ。/@yuki_mofk

2017.05.25

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1ヶ月前ぐらいから女王蜂にハマっていますという話を前の日記に書いたけど、ゆうべの夢にアヴちゃんが出てきてドキドキした。なんてことのないよく車の通る道路の交差点、信号待ちのタイミングで、待ち合わせをしていたかのような自然な流れでアヴちゃんと合流して、他愛ないことを話しながら横断歩道を歩いた。性を超越した人と会うのはドキドキするし、ワクワクする。夢の中でもそうだった。今日は空に一面セメントのような雲が浮かんでいて、夢の景色もそんな景色だったので、夢の出来事をふと意識してしまうのは恋のようだと思う。かわいいかよ。仕事の調子が下降線を垂れていく様子に心を痛める事にも疲れてきたので、最近は開き直って業務に当たってます。底に辿り着いたら登っていくしかないのだから、少しうまく仕事ができたら、オッ!リハビリできてるぞ!と自分を鼓舞して登る為の取っ掛かりにしてます。駄目だったらまた転げ落ちるんだけど、底の地面の感触が分かってたらもうあまり恐くないからね。ちなみに仕事の調子が悪いのは外的要因もあるようだったので俺のせいじゃないですやんと責任が薄くなったのも開き直りの理由のひとつ。6月も近くなってきて気温もいつの間にか知らん顔して30度まで上がるようになったので夏のことを考えるようになったけど、そういえば梅雨なんてあったっけ。毎年言ってるけど、月日が流れるスピードが年々早く感じます。

2017.05.10

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仕事の調子がまた悪くなって、ストレスで胃に穴が空きそうだったので胃薬を買って飲んでみた。いい薬だと長年聞いてきた某胃薬は粒子が細かくて飲むのが大変な割にあまり効き目を感じなかったので、歯を食いしばって仕事をしたら少し自信を取り戻せた案件があって、そしたら胃痛が和らいだので、仕事の穴は仕事で埋めるのだという男らしい結論に辿り着いた。施しやたまの癒しはありがたいけれどそれだけでは立って歩けないのが日本に住む大人の生活であるから、その冷静な事実が逆に安心を生む。転職して一年ちょっとで、前職と比べて給与は減ったけど同額の貯金ができてるし、多分生きるのは上手な方だ。これも自信。些細なことでも、自分がやった功績を積み上げて背もたれを築いておかないとドンと押された時にそのまま倒れてしまうから、あぁ、でもそんな風に保守的な考えをする自分は弱い人間なのかな、なんて最近よく思う。完全に前述の仕事の不調に心を持ってかれている。でも繰り返しになるけどそれは成功でしか埋め合わせられない。それだけ。がんばるぞい!と思うしかない。この話終わり。ゴールデンウィークの期間は仕事をした夜に何かしらの用事があって、遊びも仕事も混ぜこぜになってしまったので、果たしてあったのか無かったのかわからない、形容しがたい空気感のまま過ぎ去った。最終日の日曜は珍しく仕事が休みになったので、好きな人とかなり穏やかに(しかしアクティブに)時間を過ごした。川に石を投げたり山から下界を見下ろしたり風に吹かれて無言で立ち尽くすだけの時間が、これまで一人だった時間に、好きな人が嫌な顔をせず側に並び立ってくれることが、とても嬉しい。経緯はどうあれ、やっぱり君は生きるのが上手だよ、と過去の自分に言って、またそれが背もたれに重さをつける。という訳で、近況は至って穏やかに過ぎております。でも最近歌が足りない気がするから近々カラオケ行こう。

2017.04.25

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季節の風は青々とした草花の香りと大陸の砂を運んできて、洗車を終えた車をものの一日で汚してしまうのでいいからおとなしくしておけという気持ち。山登りは相変わらず冒険寄りの散歩という形で続いており、サル山に出くわしてみたり熊におびえてみたりとスリリングな休日を謳歌してます。イェーイ。最高気温が20度前後という日もちらちらあるようだけれど、屋内にこもりっぱなしの職場ではそんなことを知る由もなく、夕方退勤するときの西日の高さで季節の移り変わりを感じている。老若男女のハートを掴んで離さない生来の美少年こと上期きゅんが我らが地元のお祭りにご降臨あそばされたというニュースもあったけど、その頃の私はお店でつまらない仕事に従事していたのでやはり知る由もなく。お仕事、最近失速気味でうまいこと数字が取れなくてエーーンと思ってたけどつい先ほどグッドなワークをソリューションできたので今は気分がいいです。お店のユーセンで流れる最新のJPOPは説教くさい音楽が流行のようで、わかったようなことを言いおってと思って最近はApple musicで出合った女王蜂にハマッてます。それと以前の日記に少し書いたけど、知人の結婚式の撮影が週末に迫ってきたので備えとして望遠レンズ買いました。カードの支払いがどえらい数字になってて涙も出ねぇ。近況こんな感じ。自分がこの前までどんなことを思って日記を書いていたか忘れてしまったので読み返してみたら、小難しいことをうだうだ書いていたので眉をひそめて画面を閉じた。え?今でも十分うだうだ書いてる?そうだね、僕もそう思う。一人称も語尾もまとまりのないこの日記ですが、シンプルな事実がひとつ。好きな人がパッと表われて、パッと恋人になってくれました。何これ魔法?

2017.04.11

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前回日記を書いてから、登山道具を揃え、山に登り、筋肉痛で尻を強張らせながらこの文字を書いている。坂道を登る時より降りる時の方が足腰に負担がかかるというが、そんなもの登るときも降りるときも両方しんどいだろと思っていたところを、あぁそうかそういうことかと、言葉の意味を身をもって知る事ができた。急な坂道を降りるとき、足をそろそろと下へ伸ばすのだが、まず軽く膝が笑う。続いてハム何とかという太ももの筋肉、そして尻。下半身をまんべんなく使うのだ。余裕ぶってスニーカーで高尾山を登る東京の若者の話をよく聞くが、そんなのいいから良いトレッキングシューズを買いなさいと思う。登山用の靴は車のタイヤのような靴底のゴムが安定感をもたらし、ゴアテックスという不思議素材によって浅い川の流れに足を浸しても靴下が濡れる事はない。少し厚手のウォーキング用の靴下も、暖かくて一日中履いていたにも関わらず全く蒸れない。山を登る為の道具のことなんて考えもしなかった生活をのほほんと送っていた頃に、人知れず色んな技術が進歩していて、無知な僕に様々な衝撃を与える。革新的なユーザーエクスペリエンス、という言葉は近年ウェアラブルバイスとかアップル製品とか機械の類に付随されてきているが、逆に「山に登る」という原始的な分野でもそれは十分感じることが出来る。世の中知らない事ばかりですごい。普段自分が関心を向けない分野にそういう感動がゴロゴロ転がっていて、僕は仕事の空き時間にどの分野に手を伸ばすかを選択し、休日にそれを実行することができる。そう考えるとかなり有意義な人生になるような気がしてきた。自己満足の時間消費に有意義も何もないとは思うけど、そもそもそこに生産性を求める事も野暮な気がするし、とりあえず今の僕は知らない世界の扉をどんどん開けていきたい。休日に仲間と酒を飲んでばかりの人も、3Dプリンターで夜な夜な何かを生み出す人も、また僕の知らない扉を開いている人なのだろうから、そういう人とも出会いたいし、話してみたいし、いつか自分もそうしてみたい。僕が死ぬまでの真っ白な時間に少しでも色をつけてやりたい。最近そういうことを考えてる。オォン?!?真面目か!??!??

2017.04.06

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東京では桜が咲いているけれどこっちはまだ時間がかかりそう。それでも気温はようやく春らしくなってきていて、最高気温が18度まで上昇した日にはとうとう冬物の衣服を棚の奥にしまい込んだ。年相応の格好というものを弁えず20歳ぐらいから今までファッションの系統を一貫させているので、街でガラスに映った自分の姿は自分で見返しても25歳には見えなかった。昔想像していた25歳はもっと大人びていたが、5年程度では大して老け込まないようになっているらしい。20代の年齢の話に関しては、自分が好きなアーティストが同じ歳の頃はこういう作品や楽曲を出していて、と比べてしまって簡単に憂鬱の沼に肩まで浸かってしまうのでこの辺りにしておきます。春めいてきた。から、山に登ろう、と、そういう気分になってる。先日一緒に遊んだ大学の後輩と登山をやりたいねという話になり、それから脳の思考回路の3割ぐらいが登山および登山道具についての考察の処理に割かれている。靴の種類、衣服、防水性、ストック、リュック、アタッチメントの数々、飲食、登るべき山のこと、道のりのこと、草陰、沢、山頂の景色、汗、タオル、雨のこと。最後に登山らしい登山をした最後の記憶は子供の頃で、雲より高い高度に登る手前で酸素の薄さに耐えかねて下山をしていた。これからトライする山がどんな行程になるのか分からないけれど、大人の力で踏破してやりたいと思う。アウトドアって女性人気がないイメージがあって、職場の女性になんで?って聞いたら、汗とか虫とか嫌だし、家にいた方が快適だし、という話を聞き、だよねぇ、と思った。どうしてそこに敢えて挑むのか、答えは多分いろんな所に既出していると思うけれど、僕はもう良い写真が撮れて程よく運動ができればそれでいいから。山の立場よ。

2017.03.25

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 今更ですが15日前にまたひとつ歳を取りました。7時に目が覚めて、動画を観ながら布団の中でもぞもぞと芋虫の真似事をしていたら目が冴えるのとうたた寝への誘いの快楽の狭間で揺れて揺れて結局快楽に負けたのだけれど、10時に用事があるのに9時40分に飛び起きる羽目になって慌ててシャワーを浴びた。野菜ジュースを飲んで、車に乗ったら雪がさらさらと降ってきて、こりゃ4月にも雪が降ることだってあり得るなと思った。大学1年生の4月の雪降る明け方に怖い事件があったことはこのブログに書いたっけ、まぁいいや。用事の人とジムに行って変な靴を履いて走ったらふくらはぎを痛めて足を引きずりながらはま寿司で大トロを食べた。おいしかった。おいしかったかな?箸の先で脂身が切れたこと、醤油を垂らすと脂がみるみる溶け出していったこと、舌の上に乗せるとやはり脂の味がしたこと、これをおいしいと判断するのは、大トロ=美味しいという刷り込みの意識から出た感想ではないのか、多分そう。でもどこかの港町でもっと多く大トロが食べられる機会があったら飛びついてしまうと思う。グルメ番組で大げさなリアクションで出てくるような食材には縁遠い生き物だから。用事の人と別れ際、先日入籍をしたという話をもらって、なぜかうまく笑えずに変なリアクションを取ってしまった。それはどういう心境がそうさせたのだろう、と少し考えてしまって、そういや更に一週間前にも別の友人から同じく入籍の話を聞かされたな、その時も似たような感じだったな、と思い出した。多分、籍を入れるという行いが自分の生活の習慣にない、縁遠い、ドラマや小説の中のものであるから、それとしたという人の話を聞いても心からのリアクションが取れないんだと思う。つまり大トロだ。知識としては入籍はめでたいものとして祝福すべきものだと理解しているけれど、自分がその喜びを知らないから、ふわっと表現せざるを得ないのだ。日頃食べ慣れてないから、おいしいものだと頭で理解するが心の底では腑に落ちてないのだ。だから入籍に関しては、僕自身がそうならないと他人に対しても心から祝えない、悲しい生き物なのだなという気付きを得てしまいました、という今回の日記。でも自分がそうなるだろうという案件が目の前にあったら、やはり大トロのように飛びついてしまうのだろうな。節操のない生き物。

雪の鯨の話

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子供のような、大きな瞳の輝きが僕の姿を写した。
春も間近になってきた夜道、仕事を終えて職場を後にした僕は、駐車場にいた。最近は雪が雨に変わり始め、吹く風もどこか太陽のぬくもりを感じる。冬の間に駐車場に積もった雪は除雪車によって片隅に寄せ集められ、冬の間に小さな山を形作る。この山もそんな気候の変化によって日ごとに少しずつ小さくなり、そばの路面を濡らしながらやがては消えていく。例年の光景である。僕はよくこの山が積まれる場所の近くに車を停める習慣があって、今回も当然のようにそこへ車を置いた。置いたのだから、また乗る為に駐車場にきた。リモートキーで解錠する。車のウインカーが点滅する。ドアに手をかける。運転席のガラスに僕が映る。そして、その僕の後ろの雪山も。
大きな瞳が、その雪山のまんなかにあったのだ。
気を抜ききっていた僕は不意をつかれ、「ひっ」と声をあげた。そののち、努めて落ち着こうとした。雪の塊に生き物のような目が?ついているとでも?そんな筈はない。たとえば路面だけでなく土の上を舐めあげた雪なんかは茶色のままで山の一部となるのだから、偶然黒っぽい丸い点が雪の表面についていても何ら不思議ではない。あるいは誰かが何かをそこに置いたまま、忘れて帰ったのかもしれない。ただそれだけだろう。そもそもおかしな見間違いなどよくある話だ、声などあげてしまって恥ずかしい。この駐車場にいるのが僕だけでよかった、明日の職場の話題の的にされる所であった。振り返って見てみよう、それにしても一体何を見間違えたのやらーー
瞳が瞬きをしたので、気休めの思考もそこで終わった。
僕はとうとう腰を抜かした。尻餅をついて、車体に背中を預けてへたり込んだ。瞳は、確かにそこにあった。暗がりでよく見えないだけなのか、あるいはそういうものなのか、真っ黒な、しかし艶のある、生き物の眼球だった。目蓋は雪そのものであり、よく見ると目の周りには横一線に伸びた皺が何本かあった。既視感を覚えて思考が知識の中から近しいイメージを引っ張り出してきて、脳裏に浮かべた。クジラの目だ。覗き込めば吸い込まれそうな、深遠に色があるならばこんな色であろうという、深い黒だった。
「おう、おばんだな」
続けて、声が聞こえてきた。そんな挨拶を投げかける相手が今この場にいないことは分かっている。そもそも職場の鍵を閉めて出てきたのは僕だ。誰もいない。この場において、生き物の目を持った雪山が目の前にあって、僕は今パニックになって声さえ出せないでいる。声の主を僕以外の何かから探そうと思ったら、今目の前にある目玉のついた雪山とするのが、馬鹿馬鹿しいが、道理であると思った。瞳を見上げると、少し目を伏せて、しかしこちらを見つめる黒の点と視線がぶつかった。僕は今、喋る雪山と対面している!誰が聞いても気が触れているとしか思えないだろうが、そんな気の触れた事実が今ここにある。僕は恐る恐る瞳に対して頭を下げた。おばんです、とは、こんばんは、という意味の方言であるが、とてもそんな日常の習慣を未知のものに繰り出せる肝は据わっていなかった。
「おれの声が聞けるのかい」
あぁ、やはり普通は聞こえないものなんだな、これは未知との遭遇なんだな、という実感を理解して、鳥肌が立った。はい、と声を出してみたが随分掠れた音が出た。そんな応対でも満足なのか、瞳は目を細めた。目尻の皺が横に伸びる。笑い皺だ。それからこの雪の鯨は低く、穏やかな声で語り出した。その年の冬の最後に雪が降った日から春分の日頃までの間に彼らは生まれること。彼ら、というだけあって複数いるということ。冬の終わりを告げる存在であること。雪の塊に生まれ、雪が溶けるとまた次の冬までいなくなってしまうということ。
そこまで聞いて、心は落ち着きを取り戻していった。未知の生命体と相対する恐怖心は薄れ、どちらかといえばお地蔵様や大仏と向かい合うような、厳かなものと向き合う気持ちに近い。よくフィクションの世界に出てくる精霊や妖怪に近しいものなのだろう。何故僕が突然あなたの存在を知覚できるようになったのか、霊能力的なものなのか、と問うと、知らん、とぞんざいな返事がきた。一年のうちに、その地方に住むどこかの誰かのうち一人は見えるようになるが、そもそも雪の塊が生きているなどとは思わないのが普通であるから、気づかずに冬が過ぎる場合もあるという。では、と僕は続けた。あなたの存在に意味はあるのか、と。そう言うと鯨はまた笑い皺を伸ばした。
「人間が生き死にするのに理由があるかい、季節が移ろうのにも理由があるかい。もしあるとしたらそれは人間の勝手よ、後付けの理屈よ。我らはただ移ろいゆくものよ」
意味はないという。こんなにも未知で非現実的な存在と相見えたというのに、そこには何の意味もないという。周りにあるあらゆるものの意義や理屈も揺らいでしまうような気がした。彼ほどの大局観からすると、おそらくただの現象としての命であり、季節であるということだろう。
そうこうしているうちに、ぽつり、と雨が降ってきた。夜は相変わらず冷え込みはするが、雪として降るほどの寒さはもう残っていなかった。行きな、と鯨の声が聞こえた。
「意味のねぇもんの話を意味もなく聞いてんのは勿体ねぇと思うがね。まぁ、それでも人間は理由をつけるのが好きだからねぇ」
では何故声をかけたのだろう。少し釈然としなかったが、言われるままに車に乗り込んだ。エンジンをかけた車の内側からもう一度雪山を見る。溶けかけた山の全容は、昔京都の水族館で見た大山椒魚にも似ているな、と思った。去り際に声をかけようとしたが、瞳は雪の中に埋もれて再び見つけることができなかった。この不思議な現象と、また話してみたいと感じた。人間は意味のないものが好きだから。