喪服日誌

唐揚げだけが人生だ。/@yuki_mofk

2016.09.05

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当たり障りのない近況。気付いたら蝉の鳴き声が鈴虫の声に変わっていた。それがあまりにも前触れなく変わったものだから、今年の夏はずいぶん急ぎ足で過ぎてしまったものだなと思うと同時に、少し淋しくなった。それを追いかけるように台風が列島を撫で回して、しかしその最中はお店の中で携帯電話を売ったりして過ごしていたので、それもよその国の出来事のように淡々と過ぎていった。結局今年の夏は海に行かなかった(江ノ島の海には行ったし船にも乗ったけど、僕のイメージする「海に行く」はもっと荒涼とした砂浜で荒々しい潮風に揉まれることを指す)ので、むしろ気温の落ち着いた時期に行くのも悪くないなと思った。夏の間にやり残したことはいくつかあるけれど、まだ間に合ううちに回収が見込めるから特に不満はない。人と遊びたいし、秋の服を着たいし、写真を撮りたいし、遠いところへ行ってみたい。それら全てが実現可能な枠の中に収まっているということは、なんだか幸せな事のように思えた。
とある用事で青森にいて、近くの席に乗り合わせたおばあちゃんのグループの会話に耳馴染みがあって、よくよく聞けば秋田の方言だった。今年の夏は暑かった、という旨のことを70も過ぎたであろう人々が口走っているのだから、自分も例外ではなくそうなるのだろう。青森は自分の中のイメージより海に近くて、潮風は程よく冷えていて汗ばんだ肌に心地よかった。これで福島より北の道県には全て行ったことになるので、今度旅行に行く時には西に行こうかな、といつ実現するのかわからない人生の指標がまたひとつ増えた。

2016.08.26

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ひと月ぶりの反動で日記がとても長くなった。

 

眠らない街が眠らないのには理由があって、その渦中に飛び込んでみたらやはり自分も眠ることを忘れた話。8月に入ってからお盆休みという概念が今の会社にないことに気付いて、いざまとまった休みがあったかと思えば特に用事もなかったので、久しく顔を出していなかったかつての馴染みのバーに行くことにした。飽くなき飲食と人の出会いと、取り損ねた夏の思い出の補填をすべく花火や怪談などを行っていたら、夜が明けた。人と場所が変われば取れる行動の選択肢が変わってきて、あれもこれもしたいという欲求がどんどん湧いてくる。特に用事がなかった人間が、隣県のバーに顔を出すだけで夜を徹して行動するのだから、そういう”選択肢”を増やすことは生活の充実に直結するのだなと思う。育った土地で穏やかに過ごす事を夢見ていたけれど、果たしてそれは本当に正しい選択なのだろうか?と最近思うようになったけど、どんなきっかけで選択肢が増えるかはわからないのだから(例えば街が賑やかになったり、身近に知り合いがぐっと増えたりすると状況は変わる)この疑問に正解はないのだろうと思う。ただ、手っ取り早く生活を充実させたいのなら場所を変えるのはいい手段である。他人に何かを期待する時は不確定要素が多いので、うまく事が運べるよう事前に予定を立てたり合意形成をしなければならないけれど、それが面倒くさいよねーーーーという話。折衝は駆け引きせずにイエスかノーで帰結したらいいんですけど、僕たちはいつからこんなに面倒くさい生き物に育ってしまったの。

仕事と考え方の話。最近職場で営業の適性を測られて、自分は感覚で接し方を切り替えて提案の仕方を変える感覚派のタイプ(天才タイプらしい)だったんだけど、内省してみると日頃の行いにもそれが表れてて、なるほどな〜〜と思った。これは言い換えれば、目の前にお客さんが現れた時に、普段通り万遍なく提案するのか、おっこの人はこれ買いそうだな??これ買わなそうだな??と判断して他の提案に切り替えるのか、というやり方、あなたはどっち?という話。万遍なく提案している方が数撃ちゃ当たるので獲得件数が多いけど、感覚で初めから提案の取捨選択ができれば獲得の可能性の高いものに時間を割いて提案できるからこちらも手堅く数字が取れる、という、どちらが良いかという話ではなくあくまでタイプ分けの話。そして僕は、つくづく感覚というものに頼り切った生き方をしてきたんだなと近頃よく実感するようになったのである。
例えば、僕はよく写真を撮り、それが評価されることがあるけれど、プロから素人まで、評価されるのは感覚が具現化した部分だ。色合いや構図、キャプションの付け方まで、僕の中には決定のロジックがない。自分の思うままに良いと思うものを作り、理由付けは後から行う。自分ひとりで楽しむ分には理由なんていらないのだけれど、他人と関わるとそういった部分で決定の理由を訊ねられるから、そこで受け答えができるようにしておかないと会話ができないので、理由付けはある意味感覚の翻訳とも言える。
もっと言えば、僕は国語がめちゃくちゃ得意で、数学が苦手だった。筆者の意図や文の読解は感覚で理解できるが、数式は感覚では解けない、ということだ。感覚のみで何十年と生きてきたことは危ない事のように思えるけど、その分研ぎ澄まされたものもあるのかな。ないなら人生やり直すけれども。

2016.07.28

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東京に来ると原宿と表参道には必ず足を運んで安い服とタリーズのコーヒーを飲む。もうそういう習慣になってきた。雨の降る東京は湿気で肌がべたついてボディシートが何枚もそれを拭っては役目を終えた。宿を貸してくれる高校時代の友人と神保町で会って、中華料理を食べて帰った。うわ言のような言葉を交わし合って就寝。翌朝、博物館に行こうと思い立ち両国に向かう。両国といえば国技館であることは田舎者の耳にも通じる常識であり、また国技館といえば相撲を行う場所であることもまたよく知られていた。しかし相撲に疎い僕の心はスモウレスラーの聖地とはなかなか馴染むことができなかった。横網町を横綱と見間違えて、横綱町なのに横綱おらんやんけ!!!!!!と素っ頓狂な声をあげた(ネットで)ものだ。町を力士が闊歩する訳でもなかったし、朝からちゃんこ鍋が食べれる訳でもなかったのでサンマルクでパンとコーヒーを飲んだ。サンマルクのフレンチトーストが劇的にうまいという気付きを得た。その後博物館で江戸の町と数多の妖怪を眺めて満足し、秋葉原へ飛んだ。秋葉原では電子機器やジャンク品を見て回り、うまい寿司を食い、町を歩いたのちにビールを飲んだ。冷えたビールは脳にいい。連れ立った娘はいつ見ても自慢の娘。鳩との親和性が高い。夜は新宿で洋食と洋酒を樽のテーブルの上で飲んだ。ワンピースでよく見る、取っ手のついた小樽で酒を飲みたいけれどどこで売っているのだろうという話をした。あと家庭菜園の話。23時過ぎに解散して帰りのバスを待ち、乗り、山形に戻ってきて、帰りの電車に乗りながらこれを書いてる。各駅停車で時折開閉する電車の扉からは草木と靄の匂いがして、あぁ帰ってきたのだなという実感。とやかく言ったけど、旅はいいぞ。旅の話おわり。

2016.07.26

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朝6時から駅のホームでは何かに憤っている老人の怒号が飛んでいて、活気のある町であることは明らかであるなと思った。5年ぶりに来た横浜は空が澱んでいて、電車の料金表を見たら真っ先に飛び込んできたのは山手線の緑の円だったので、東京都内の知らない駅に放り出されたような錯覚があった。横浜は中華街の顔しか知らなくて、歩道橋の下にコロニーを築くホームレスの姿や迷い込んだ地下道の独特の雰囲気は却って新鮮だった。乗換案内というアプリは本当に便利で、こんなに遠方にホイホイ気兼ねなく旅に出れるのもこの案内があってこそだ。それまで知らない土地の電車の類は恐怖の対象であった。平成に生まれてよかった。ちなみに知らない土地のバスには今だに不安で乗れない。異邦人とは外国人を指す言葉だけど、勝手のわからない土地に飛び込めば似たような立場に陥る。その土地の生活に馴染んでいる人からしたらなんの違和感もないが、知らない人間が出くわすと途端に困惑するようなものがいくつもあって(電車の仕組みとか方言とか食べ物の食べ方とか)、地域性というのは面白いなと思う。江ノ島に行った。島とはいえ陸続きなのだが、確かに少し異質な島民の暮らしがそこにはあって、僕は異邦人となり得た。10時半頃に開店していた店にふらりと入って、ぶつ切りの刺身と釜揚げのしらすが乗ったご飯を食べた。ビールも飲んだ。ビールの産地は新潟であったが、新潟県民が江ノ島という概念をビールに落とし込もうと見えない努力をしたのだろうからこれは江ノ島のビールなのだと思って飲んだ。産地のことについて考えたのはこのビールに限った話ではない(おいしい干物屋の安い干物は全て外国産だった、とか)けど、どこから産まれたものだろうがその場所で思い出に残ったらその場所のものとして記憶するから、そういう意味では産地にこだわることになんの意味もないんだな。くどくど書いているけれど、日記という形で冷静な視点で文に起こすから小難しいのであって、体感している時は何も考えていないので、僕と行動を共にする人は「あぁこいつはビールひとつ飲むのにごちゃごちゃと考えているのだな」とは思わないように。とにかく、今はそんな旅をしています。続く。

2016.07.25

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ちょっと日記を書くことを忘れている間に、ひぐらしが鳴き出して、世界的なポケモンの乱獲が始まって、今僕は久しぶりに電車に乗っている。前も京都へ旅立つ前に日記を書いた気がする。電車からぽつりぽつりと駅に降り立つ高校生の夏服が目に眩しかった。いつも思うことだけど、日めくりカレンダーの日付を毎朝事務的に破り捨てていくように、毎日は淡々と進んで行く。仕事で毎度いろんな理由で日にちを紙に書く。25という数字を小さな署名欄に書きなぐる。続けて苗字が走り書きで紙面を駆ける。汚い字。安物のボールペンはぼそぼそとした太い線を描く。数多の手続き。移ろいゆくものは記憶に残らないから、日報とか契約日とか名前をつけて記録にしていくんだね。記憶と記録という言葉をセットにしたがる人が多いのはラッパーに憧れているからです。韻を踏んで言葉を紡ぐことはレベルの高い言葉遊びだけれど、たくさん話すことはセックスに似た快感を脳に与えるらしい。語感の気持ち良さも重なってラッパーはさぞかし気分がいいだろう、かつての本場のラッパーは薬物と暴力がセットになっていたらしいので最早快楽祭りといったところか。このように取り留めのない雑念が脳裏をよぎるのはいつも通りで、電車がホームに滑り込むのと僕が日記に何を書きたかったのかを忘れてしまったことに気付いたタイミングはほぼ同時。日々生きてて書き留めたいことがあればその時々で綴るんだろうけど、あいにく僕はそこまで筆まめでも自律して筆を取らんとする程意識は高くない。あぁ、そうそう。思い出した。これから鎌倉に観光に行ってきます。あと彼女と連絡が取れなくて悲しかったこととか、仕事がジグザグの軌道を描きながらもなんとか楽しくやれてることとか、あぁ、なんだ、泉のように湧いて出るじゃないか。話したいことはたくさんあったはずなのに、恋人の前とか、マイクの前とか、大事なとこで出てこなくなる現象はなんなんだろうね。

2016.07.06

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太陽に熱されたアスファルトと雨によって冷やされた大気が混ざり合って、人の吐息にも似た温度の風が肌を撫でた。梅雨らしいといえば梅雨らしい、じっとりとした雨が降る。雨の上がる翌日は、夜分に溜め込んだ水分の蒸発でやはりじっとりとした風が吹く。近頃こんな調子で、いかにも梅雨らしい気候に触れるのは久しぶりではないかと思った。雨音が全てを支配する時間が、家に一人でいる時、エンジンを止めた車に乗る時、布団の中で目を閉じた時、ふと訪れる。その時間が好きだ。高校一年生の頃、始発電車で登校して教室に入ると他に生徒がいない時間があった。ある日、そんな雨の朝にNEYOのSo Sickを聴いた事があって、晴天の下で聴くよりも、すっと心に染み入った心地がした。雨のノイズに他の存在が霞んで、音楽と自分だけがそこにいた。そんな気分になった。ここ数日、不規則な生活が続いているせいか眠りたい時に寝付けなくなった。世の中にはいろんなアプリケーションがあって、雨音をBGMとして流してくれるアプリが存在する。眠れぬまま迎えた午前4時に鳴らした雨は、自在に雨足の強弱を変え、遠雷を響かせた。目を閉じた暗闇の中でその情景を思い浮かべる内に、いつの間にか眠っていた。雨音に安らぎを覚えるのはホワイトノイズに似ているからで、言われてみれば確かにテレビの砂嵐に似ている。子宮の中にいる胎児も、母親の胎内の中で似た音を聞いているらしい。自然由来の雑音も人工的なものも、原初に立ち返る気持ちにさせるのは面白いと思った。湿度100%の話をしましたが、このブログも開設からもう1年が経ったようですよ。

2016.06.23

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夢の中で僕は懐かしのヒットパレードを不特定多数の人々と幾度も大合唱していて、そんなアホのような活動で誰かを救おうとしていて、夢から覚めると実体のない充実感だけが胸の内に残った。ここ一週間ほど好きな人に贈るプレゼントの内容についてあれこれと悩んで、ようやく着地点が見つかったので心の荷がひとつ降りた。普段人になにかを贈る時は割とすぐにこれやこれやとモノを選んでしまうのだけど、今回は珍しくプレゼントのチョイスを小難しく悩んでしまった。贈ったものが邪魔にならず趣味嗜好に合い、役に立ち、きちんと喜んでもらえるか、と悩むのだが、要は自分がうまくそれらの点を器用に押さえ、マイナスの感情(要らないだとかタイミングが悪いとか不快だとか)の発生によって自分の評価が下がらないか、という自己防衛、もっと言えば見栄っ張りの思考なのだな、と気付いてからは、奇を衒うことなく無難なチョイスでもいいじゃないかと思えた。郵便物を送るのとプレゼントを贈るのは、モノを送るのか心を贈るのかの違いなんだと思う。贈る心に迷いがあったりしたら中身もそのようになるということ。人に恋文を贈るのを躊躇わない人がいないように。

今年の夏至は曇り空で過ぎ去ったので少々いやかなり残念だった。いつの頃からか、夏至の日が好きになった。一年で一番好きな日と言い切っていい。燃えるような夕焼けが空を染め上げて、19時を過ぎても空は明るかった。一年の内で日照時間(昼間)が一番長い日だと知って、夕闇の美しい空の色をこんなにも長い時間見る事が出来るのか、と嬉しくなったのだ。「夏に至る」という言葉も好きだ。太陽は夏至を境にまた顔を出す時間を縮めてしまうけど、夏はそこから始まっていく。学生の頃、初めて写真をパネルに貼り付けて展示した時。夏の間に出会った川魚やアメンボ、スズメバチ、セミといった生き物だけを写した「ライフ」という展示を行ったことがある。その時撮影したセミは死骸となってアスファルトの上に寝そべっていたのだけれど、その側には日照りで干からびたミミズのそれも寄り添っていたりして、あんなにも命の栄える季節に、こんなに近くに死が転がっているのだと、なんとも言えない気持ちになった。かつて祖父が亡くなった時も夏の日だった。日が短くなるというのは、何かの終わりが近付いてくるような寂しさとか、怖さも伴っているような気がする。だから、死とかそういう概念と重なる部分があるような気がする。あくまで感覚的な話なのだけど、そんな事を思い出させてくれる夏至の日が好き。