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喪服日誌

唐揚げだけが人生だ。/@yuki_mofk

2015.07.05

 

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作文に赤い線を引かれて誤字を指摘されるのが、小学生のころの作文の思い出。小学生の頃、校内で2番目に読書量の多い本の虫だったわたしは、読んでいた小説の中から「苦笑する」という言葉を知り、自身の作文の中でもそれを使用した(今思えば苦笑する小学生は気持ち悪い)。教師の検閲を経て帰ってきた原稿用紙には、その言葉を赤い楕円が囲み、「苦笑"い"」と訂正をされた。間違っていないのになぜ正されたのか、と心の中でずっと憤慨して、今でも忘れない記憶になった。中学1年生の頃は、始業前に設けられた読書の時間で「バトル・ロワイヤル」の分厚い原作小説を熱心に読んでいたら、担任教師が眉を顰めたのを覚えている。本を読め、と教師は言う。心を豊かにするのだ、と教師は言う。本で覚えた、自分が教えていないことを、非道徳的なものに触れることを、教師は嫌がる。その感情は心を貧相なものにしないか、と子供ながらに思った。結局わたしは難解な事が美徳のようなガチガチのくさい文章を覚えたりバイオレンスな思想で包丁を手に取りニヤニヤ笑ったりすることなく大人になった。押さえつけることの是非は教育の話では散々話題になるやつだろうけど、少なくともその結果を受けて成長した子供に、押さえつけたりつけなかったりした大人がその出来をうだうだ話すのは本当にしょうもないことで(ゆとり教育もそうだね)、今目の前にいる子供を、今自分が子供に与えられるものを、もっと深く考えればいいんじゃないの。なんて言うのは簡単だけど、教育もビジネスなんだと知った「大人」の立場じゃ、それも難しいのかな。子供の先生は、先生以上に、友達で、いじめっ子で、先輩後輩で、親だったりするよね。取り留めもない話。