喪服日誌

唐揚げだけが人生だ。/@yuki_mofk

仮面について

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大きなキャリーバッグを引っ張って昼間に部屋から抜け出して、帰ろう帰ろうと思っていた実家へ向かうバスに乗った。バッグの中には不要品が詰まっていて、実家に置き去りにしてしまう算段。キャリーバッグを引いている姿を見れば誰でも遠方からの旅人と思うから、変装もなくよそ者の仮装ができるので、キャリーバッグは好きだ。土産物屋の前を通ればよく声が掛かる。駅ナカの、地元の高校生がたむろするパン屋に一人で入っても浮かない。高校生の月5000円程度(だろう多分)のお小遣いにはヴィドフランスのパンはいくつも気ままに買うには高いものなので、ひとつかふたつのパンを買ったら店内のレモン水をひたすら飲む。かつての自分もそんな経験があって、今もそれは変わらないのだと、何組もいる女子高生を見て思う。学生に戻りたいとか、転職がどうだとか、日常の中で稀に脳裏を流星のように流れては消える思考は、具体性はどうあれ当たり前にあって、でもそんなものは関係なく、何もかも関係なく、フリーの立場で世の中に漂える「旅人」という身分が、とても気楽で好きだ。身分を偽って架空の人物として動くことが楽しいと思えるのは、今までの自分に結びつけてきた社会的地位や取るべき振る舞い、諸々を含めた「責任」から解放されるからだろう。何をしてもよいという訳ではないし、全くの別人ではないし、今の自分が一枚仮面を被るだけなのだが、少しでも自分が現状の身分から浮いた存在になると、その浮遊した高さの分だけ解放感を得ることができる。みんなが学校に行っている日に自分だけ休んでいたり、就活帰りの学生がスーツ姿で街を歩いたり、ものもらいで眼帯を巻いた時だって、ベクトルは違うが日常からの浮遊感がある瞬間だ。要は、普段の自分からの何かしらの変化。いつもの自分がいつもの自分を辞めた時の心地よさ。平均的な人物がある日超常現象に遭遇したり特殊能力に目覚める物語がみんな好きなのも、そういうことだ。多くの人々は、仮面の被り方を知らない。でも、その楽しさを知っている。仮面を被った者同士が鉢合わせた時、どんなドラマが始まるだろう。そんな出会いも、きっと楽しいよ。