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喪服日誌

唐揚げだけが人生だ。/@yuki_mofk

2015.08.30

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秋雨前線、という言葉が朝7時のテレビから流れてきて、耳に入った途端に日本の気温がぐっと下がった。それと同時に降り出した雨はとめどなくアスファルトを濡らし続けていて、夏に浴びた紫外線や太陽光とその熱を何もかも洗い流して、夏の記憶を奪い去っていくように思えた。蝉の数は日を追うごとに減少していて、街路樹でたった一匹鳴く蝉から発せられる切なさに無常を感じた。夏なんてなかったみたいに気温が下がって、人は半袖をやめて、やがて木々は葉から緑を捨てる。今の場所に住んだことで町並みだとか景観に感心したことはほとんどないけれど、秋になると街路樹の銀杏が黄金色に町を染めて、駅へと急ぐタクシーがそれを巻き上げた時、黄金色の風が吹いているようでとても綺麗だった。春や秋の、薄着とも厚着ともならない気候が大好きで、大好きな理由の中には季節の匂いが含まれている。秋は、雨で湿った土と枯葉の匂い。また今年も秋が来る。それがとても楽しみ。
 
成人する時点で人の脳みそに刷り上がった哲学という本は個人ごとにページや語句の量が全然違ってて、ひとつの感情を取り上げても、それに対する解釈は論理的に考察を重ねて深い思考の海底に結論を置いてきた人もいるし、バーンドカーーンバキューーーーンと感覚的に書きなぐって完結した人もいる。本が形成されるにあたっては幼少期から成人までの体験と生活環境が重要で、ほぼそこに基づいた感想と反省が刻まれる。つまり「人それぞれものの捉え方や感じ方が違いますよ」ということをぐちゃぐちゃに書いた訳。
世の中には、その哲学が世間の平均的解答と違う事を知った時に、他と比較して自分や他人に対してどうこう言う主張型と、平均的解答に合わせて自分の変な部分を矯正しようという同調形と2パターンの人がいる(勿論もっといろいろいる)。前者は他人がおかしいと思えば批判したり、自分がおかしいと気付けば特異であることをアピールする、いわば多様性を否定する面倒くさい人が多いんだけど、それは自分の感覚や信じていたものが揺らぐのが恐かったり、平均に埋もれるのが嫌だったり、そもそも聞く耳を持っていなかったりするから。自分が多数派と違った哲学を持っていた時、それも良しとされる場合と悪とみなされる場合があって、でもそれは他者との関わり合いの中からしか見つからない、気付けないものだから、どんな思考を持つ人でもいいけど、向き合わないとね。他人を通して自分を見るの。手遅れになる前に。