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喪服日誌

唐揚げだけが人生だ。/@yuki_mofk

骸骨の話1

 色に力や印象を見出すのは遥か昔から伝わる人間の変わった意識であり、色のわからぬ動物たちにはなんら意味のない概念であった。
 ぼんやりとした、明るい氷の塊が空から無数に落ちてくる。人はそれを雪と呼んだ。冷たい風が弄ぶようにあちこちにそれを撒き散らし、草木は命の端を捨て、春を待つ用意をした。生きとし生けるものは己の巣穴に潜り、雪解けの音を合図に決めて息を潜めた。冬が雪を連れてくるのか、雪が冬を連れてくるのか。冬は死の季節だ。あらゆるものを閉ざし、冷やし、音を奪う。ならば、芽吹き、暖かな、生命の息吹を感じる春は生の季節だ。雪が放つ明るさゆえに、夜が深まっても雪の降る日は空が光り、森の木々の輪郭がよく見える。その明るさを、人は白と呼ぶという。
 ある日、雪山に住まう銀狐は、猟銃を持った人間を避けて人里に降り、必要な食物を調達して巣穴に戻っていた。その人里で、最近揺らめくものを見たという。二色の色が交互に幕を染めており、片側は白く、やはり闇夜の中でぼんやりと光っているのだそうだ。
 
 もう一方の色が黒か赤か、なんて色のわからぬ動物には判別のつかない話で、ましてそれが何を意味するものかは人間にしかわからない。人の門出を祝う時、感極まり涙が出る人間がいるという。死を悼む時、やはり涙が出る者があるという。人はよく泣く。涙が何を解決してくれる訳でもないが、これは動物であるなら人間に限らないという。
 鯨幕が貼られた家屋の中に、窓際で眠る少女がいた。棺の中は案外心地がいいのか、その寝顔は不満を浮かべるでもなく美しく整っていた。窓の外では雪が空を覆い、月光を隠した。雪明りは街にあふれる人口の街灯を反射して赤みがかった色になり、窓から差し込み彼女の顔をうっすらと照らしていた。
 その光が突然遮られた。大きな黒い影が窓の外にぼんやりと浮かび上がった。
 真冬の晩に、襤褸切れを纏った人骨が闇夜にぼうっと浮かんでいるのは、恐ろしくもあり、どこか間抜けでもあった。ひび割れ、歯の欠けた顔は風が吹き付けるとその隙間が音を奏でた。黒い襤褸切れはばたばたと風になびき、袖かどうかも怪しい布の端からはやはり骨の腕が覗いた。骨の白さと黒い襤褸切れの配色は喪服のそれとなんら遜色がない。この風体は世間がイメージするところの「死神」とよく似ているが、彼自身、なぜこの姿で、いつからこの世を彷徨っているのかまるで記憶にないという。かつて人間だったのか、異界で何をしたのか、何一つ知らない。ただ、何かしらの命の終わりに、その枕元に突然現れるところからすると、やはり死神であることに違いはないのであろう。
 骸骨が一歩踏み出した。実体という概念が存在しないのか、住宅の壁面とガラスをずるずるとすり抜けていく。肉体のない肉体と壁が熔け合うように干渉しあい、やがてその全てが室内に入り込んだ。骸骨は首を傾げて、品定めするように少女の顔を覗き込んだ。眼窩には眼球がないので何が見えているのかは誰も知らないし、そもそも脳やら神経やらもなさそうなので人間と比べて突き詰めようとするときりがない。冷え切った手で冷え切った顎を撫でて、何やら納得した様子で少女を見る。次に腕を伸ばして、その遺体に突っ込んだ。すると、ずるりと少女の肉体から何かを引き摺り出した。それは少女の輪郭を保っているが細かいディティールを失っており、のっぺらぼうのようであった。輪郭はぼやけ、フィクションの物語に造詣があるなら、なんとなくこれを魂や霊体と呼ぶだろうな、というような容姿だ。霊体は抜き出されるや否やパニックになったようで、両手足をじたばたと動かして骨の腕から逃れようとした。安眠を妨げられたばかりか目の前に骸骨が突っ立っていたら何のドッキリだと思うだろう。途端に骸骨がぱっと手を放すと、霊体は床に尻餅をつくこととなった。
 
 
 生みの親が自ら考え、生れ出た子が生きる指針として名付ける名前というものは、一種の呪いともいえる。言霊というものがあるように、意識せずとも、不思議と人間はその名に沿った生き方をするようになる。どんな名前を付けられてもよかったはずのまっさらな赤子が、成長するたびに、その名が似合う人間になっていく。多くの場合、悪い名を授ける親はいない。どんな名であれ、そこには親が子に向けた意志がある。それは幸運とも不運とも呼べるが、大概は良い意味合いの名前を授かるので、幸運である割合が高いようだ。
 少女には名前がなかった。少女は、望まれず生まれた子であった。ゆえに、親は子に与える名を持ち合わせてはいなかった。その日は吹雪が空を白く染め上げていて、視界が悪い為街中ではスリップをはじめとした交通事故が多かったという。事故か、と親は妙に納得した様子で、その白い魔のものを少女に与えたという。人はやがて少女をユキと呼んだ。
 ユキは愛のない家庭で育てられたが、決して邪険にされることはなかった。しかしそこにはぬくもりがなかった。愛の対義は無関心であるという言葉があるが、そのぬくもりのない日常は喜怒哀楽から温度を奪った。ユキは笑わず、泣かず、怒らず、温度のない表情で成長した。学校にも進学したが、友達と何をした、という話が彼女の口から発せられることは一度もなかった。
 ある日、ユキは命を絶った。眠るように死んだ。死に至るべく行ったことはなにもなく、いつものように自宅のベッドの上で寝て、それきり動かなくなった。家族の無関心は死後も続き、法事は粛々と、事務的に執り行われた。悼む人はなく、僧も形だけの読経を終えるとそそくさと帰った。ドライアイスが敷き詰められた棺にユキの身は横たえられ、火葬を待つばかりの身となった。そばにある窓からは雪が降り積もる様子が見える。棺の中も外も、冷え切っていた。死してなお、少女の心は冷静にそれを受け止め、意識の暗闇の中で、何を思うこともなく自我の消滅を待っていた。
 急に視界が開けた。意識がはっと覚醒して、見慣れた自室の風景が見えてくる。夜中ではあるが、窓から差し込む雪明りで部屋に置かれたものたちの輪郭はよく見える。何故目覚めたのか、何が起きたのか、事態を把握する前に、自分の首根っこを摑まえる大きな黒い影が目に入った。