喪服日誌

唐揚げだけが人生だ。/@yuki_mofk

2015.09.05

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風呂上りの素足でゴキブリを踏んだのが昨日の朝の8時15分くらいの話。風邪薬のカプセルが大きくなって床に転がっていたのを踏んづけたらこんな感触かな、という反動を左足の裏に感じて、何を床に落としていたかと振り返って、出したことのない声が声帯から飛び出した。それから冷静になって足を洗って、殺虫のスプレーで再度殺して(素足で踏んづけただけでは死んでいなかった)、紙で掬って窓から亡骸を捨てた。先週焚いたばかりのアースジェットを仕掛けて煙だらけの家を出て出勤。最高に気持ち悪くてショッキングな出来事を共有したくて話の要点だけ同期♂に話したら、それこそゴキブリを踏んだような顔で退散していった。会社では前述の日記にあるように目と肩が疲れる作業に明け暮れて、昼食後に文字数の多い書類を2時間注視する会議があってもう目が限界だった。ソファとIKEAに想いを馳せる。別にソファに座ったからといってそこまで劇的に日常が変わるとは思ってないけど、変化に具体的でない期待を持つことは往々にしてある。でも導入にあたって部屋を片づけないといけん、とぼんやり思ってる。前に食器の話をしたことがあるけど、まだ使えるし、と思うと捨てられないから思い切った断捨離ができない。断捨離って言葉が一度に変換できなくて、ふと字面を見て宗教の言葉っぽいなと思ったらやっぱりその通りだった。迷える人や苦しむ人のよりどころになるのが宗教で、自分にはそれが要らないと思っていたけれど、モノへの執着に思い悩む思考にすらも宗教は寄り添える。すごい宗教。でもいろんな宗教を良いとこ取りして自分だけの最強の宗教を作ろう!みたいな動きなかったのかな。知らないだけでもうあるのか、あるいは対立を生んだのか。なにもかにも救済するのが神さまのお仕事だけど、一神教じゃ痒いところに手が届かなくて、ねぇ?猫を神の使いとする考えがあるらしいけど、猫の手も借りたいのは人間だけじゃないってこと。そんな訳でこの話の結論はソファと猫が欲しいというところに終着します。