喪服日誌

唐揚げだけが人生だ。/@yuki_mofk

2015.11.06

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束の間の暇があったので、件のサーカスのホームページを作り出している。学生の頃に忍者ホームページでポートフォリオ的なホームページを作ったのが最後だったし、いまどきしっかりホームページを作るよりも形の決まったブログやSNSにコンテンツを落とす方が楽だから、なんとなく若い集団がとりあえずホームページを作ろうという文化は廃れてきているのかな、と思った。昔はPCでも携帯でもこぞって個人や仲良し集団がホームページを立ち上げ、という昔話はいくらでもできるけど割愛。結論をいうと、無料ホームページ作成サービスも結構発達していて感動しています。パソコンの画面ばかり見ていて目がつらぽよだったので用事がてら仕事のついでに外に出たら、久しぶりに結構な量の雨が降ってて、吐く息が白くて、11月らしい11月が突然やってきたなと思った。なんだかこの前もこんなこと思ったっけと思い出してみたら、夏の訪れも夏の去り際もそうだったっけ。人は歳を取るたび時間の経過を早く感じていくけど、もしかしたらいつも季節は突然やってきて、突然去るものなのかもしれない。元々そうなの。人は訪れを喜んで、あるいは疎ましく思い、やがて去り際にぽつんと取り残される。思えば、一度だってその季節の波にうまく乗れていたかなんて自信がない。乗ったところで得られるメリットといえば、手紙の書き出し文のチョイスを誤らなかったり、人との雑談でそこそこの当たりが期待できるカードを切れるとか、寒暖差で油断して風邪をひかないとか、所詮はそんなところなんだけど。でも多くの人々は大なり小なりのセンチメンタルを胸中に飼っているから、よほど季節に無関心な人でなければ、無意識にその移り変わりを認めて、感慨を覚えるものだ。そのはず。少なくとも日本に住んでいるうちは意識しない方が難しいし。人生80年できみが20歳だとして、残り60年の歳月はとても長いと思うかもしれないけれど、冬はあと60回しか来ないんだと思うと、途端に寂しく思える。季節が運ぶメメントモリに乗って、乗って、最後は浜へ流れ着くのだろう。浜の先がどんな陸かまでは行ったことがないので知りません。