書き出し50音 あ~な行編
僕が日記を書くときの書き出しは大抵身の回りの適当な事情とか心情から引っ張ってくるんだけど、それに制限をつけても自分はつらつらと文章を書けるのか?と思って、50音それぞれの音から始まる書き出し文を書いてみました。要は暇つぶしです。
書き出したことは全部本当の事で、全部普段僕が考えてることです。無理に作り出した嘘の話はひとつもないです。
「あ行」
あの時綴った言葉を覚えていますか?と自分に問いかけると、もちろん覚えているわけはないのだが、現実に何かしらの出来事に遭遇した時、こんな記憶を前にどこかで、とデジャヴに襲われることがある。その元をたどると、意外にも自分の書いた何気ない言葉だったりするのだ。
イギリスのことがさっぱりわからない。ついでに言うと、フランスとの違いがちょっと怪しい。そう、僕は地理が苦手だ。
生まれつき手癖が悪いなんて冗談はよしなよ。悪いのは口癖でしょう。
絵を描く。ボールペンの先のボールは、目には見えないがインクを流しながら紙の上を転がっているらしい。僕は努めてそれを見ようとした。
思い残してきた感情や記憶の続きを追いかけて、気が付いたら現在地がわからない。そんなことが何度もあった。また、追いかけられることも同様に多く、尻に火をつけられたような焦燥に心がひりつく。今まさにそんな感じだ。
「か行」
壁紙の端がぷっくらと膨らみ、やがて少しずつ壁面から浮き始める。帰省してトイレの便座に腰かけるたびに、数年かけて僕はそれを見守っていた。
キーマカレーの作り方が分からない。そもそもスパイスについての知識が全くない。みんな本当にあのいろんな香りのいい葉っぱのカスのひとつひとつの効能を理解して使っているのか?どうなんだ?もしかしたらニュアンスでなんとなくやってきただけなんじゃないのか?イライラしてきた僕はインド料理という概念を窓から放り投げた。
車が欲しいとは思うが、今住んでいるところは駐車場の料金が高いのでおいそれとは手を出せない。重量税?マイカーローン?宇宙の話をするのはやめろ。
けん玉にスタイリッシュな塗装を施したかっこいいそれらをAmazonがお勧めしてきたので子供の頃の記憶を探し回ったが、僕の記憶にけん玉はいなかった。代わりに、うまく一輪車や竹馬に乗れなかった思い出が出てきた。
コーヒーを飲むようになって3ヶ月くらい経っただろうか。そして、コーヒーを飲むのを辞めてから1か月くらい経っただろうか。
「さ行」
サンマの刺身に魅力を感じなくなってからは多少の変化球では動じなくなったと自負していたが、少し脂を乗せたやつが口に入るともう駄目だ。
仕事がつらい、と口に出すのは簡単だが、何がどうつらいのかを具体的に詰めていくと、実はそのつらさに実体がないことが分かってくる。いや、たとえ明確な何かがあったにせよ、結局それらを纏う「空気」のようなものが、気だるく、重たく、面倒くさいのだ。
巣のようだ、と、脱ぎ散らかした衣服が作る塊を見下ろして僕は思った。この中心に埋もれればめでたく親鳥の御帰還というわけだが、産み落とすのは怠惰だけだ。
先日作って冷蔵庫に残した煮物に再び手を出すタイミングを見い出せないまま10日が過ぎた。
蘇民祭みたいな、裸の男たちの雄叫びと鼓動がムーヴメントを起こして爆発するような、そんな情景を心がつらい時によく思い浮かべる。重たい現実の重たさを発散したいからそんな極端な発想が生まれるのだ。
「た行」
「ためになる話をせよ」というテーマで日記を書こうと思ったのですが、2行ほど書いて諦めました。僕が人様の役に立つ情報を発信できるわけがないだろう。
血豆をつぶして云々という話を中高生の頃運動部に所属する人たちからぽつぽつ聞いて育ったが、一度も血豆を作り出すことなくこの歳まで育ってしまった。
「角だせ槍だせ」という言葉はえっちな意味なんだよと風の噂で聞いたけど、もうかたつむりが言葉通り角なり槍なりをあの柔らかい体を硬質化して作り出すファンタジーなイメージが出来てしまっているので、なかなかに理解しがたい。
テニス部時代、僕の友人にパプアというあだ名の男がいた。元気だろうか。
遠くで誰かが僕を呼んだ気がして、振り返る。もちろん誰も呼んではおらず、幻聴なのだが、子供の頃はそれが特に多かった気がした。大人になってほとんどしなくなったな、と今になってふと思い出した。
「な行」
納豆のパックが冷蔵庫の中に常備されていること。これは彼の汎用性がいかに高く、また僕がなんだかんだ発酵食品を食べて健康を保っていることを裏付ける証拠となるのだ。
煮物じゃないの?煮しめっていうの?ということを今年になって初めて知った。
ぬめぬめが足りない。具体的には、長芋となめこ。学生時代よくそれで色々と料理を作っていたはずなのに、最近すっかり疎遠になってしまっていた。
粘土質の泥は水分が抜けるとひび割れ、河原に突如として荒廃した大地の姿を見せる。その亀裂を踏みしめて歩くのが好きだった。実家の近所の川の話だ。
「呪い」という字は「のろい」とも読めるし「まじない」とも読める。そんなことを1000字以上にわたって長々といい話っぽい文章にしたことがあった。多分高校か大学入りたての頃だったか。