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喪服日誌

唐揚げだけが人生だ。/@yuki_mofk

2016.01.22

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先日の面接ですが、好感触でした。あまり期待を持たせるようなことを散々書いた後にやっぱりダメでしたという結果に落ち着くとカッコ悪いので、あまり詳しくは言いません。実は珍しく昨日まで3連休だったのですが、細々とした予定があったりなかったりで、振り返ると大半の時間を床の上で寝そべって過ごしていたと思います。途中、動画作りをしたり演劇のワークショップに行ったりしました。ワークショップでは大学2年生の現役の演劇部員たちと触れ合ったのですが、20とか21とかいう年齢が、ついこの前まで自分たちもそうであったはずなのに、触れ合う実感として随分若く感じるものだなと思った。同席した友人ともうすぐ24になるね、という話(彼とは誕生月がひと月違い)をしながら、あっという間にここまで来てしまったと思い返した。おそらく、24とか25の門をくぐる時は誰しもこうやって自分の加齢に想いを馳せるのかな、と思う。理由は人それぞれとして、自分の場合はその数字が、自分の無意識下から「いいトシした大人」というイメージを引っ張り出してくるからだと思う。子供の頃の視点から見れば、結婚していてもおかしくない働き盛り。でも大人になった今、実際に働き盛りと呼ばれる年齢は30代であるとわかるし、結婚の時期だってむしろ遅くなりつつあるのが世の中の傾向だ。そういう今まで自分の中にあったなんとなくのイメージとリアルのギャップが実感として衝突し始めるのがこれくらいの年齢だから、気付けばここまで来てしまった、とつい年齢について考えてしまうのだろう。自分はどう生きていきたいか、と就活時代からずっと絶えず考え続けてて、何をしていても頭の隅では孤独な検討会が続いている。自分は性根がクソ真面目で臆病なので、起業するとか東京に出て一花咲かすとかそういう無謀な何かとは関わらない。地元は好き。好きな人もいる。仕事もそう。本当はひとつひとつの要素を見つめていけば自ずと答えが出ていて、それを明確にしないまでも、僕は無意識のままにそれに準じた生き方をしている。振り返った時に、来るべくして来た道になっている。そういう生き方になっている。いつだって、うまくいってくれますようにとお願いしながら生き方を選択しているけれど、神様なんていないことも知ってる。願う先は何でもよくて、言葉にしたり意識を形にする作業が大事なのよ。