喪服日誌

唐揚げだけが人生だ。/@yuki_mofk

2016.02.12

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一面グレーの空にも濃淡があって、淡く滲んだ空から太陽の光が控えめに街を照らした。粒の小さな雪が目の前を泳いで、太陽がその姿を隠すと同時に数を増やした。年末あたりから、マンションの内廊下の窓を閉めた。理由なんて寒いから以外にないが、そうしていると、建物の中にいろんな匂いがこもっていることに気付いた。誰かが作る煮物の匂い、建物の匂い。この家に移り住んだ当時の匂いを思い出して、今朝方家を出る前に部屋の匂いを嗅いでみると、鍋に仕込んでいた料理の匂いがした。何日か前に焚いたお香の匂いもかすかに残っている。あぁ、僕の家だ、と思った。2年居ただけの空間にも僕がいた痕跡は形なくそこにあった。ここまで書き並べて匂いって漢字がゲシュタルト崩壊してきた。
おとといBUMP OF CHICKENの新譜が届いて、それが放つ音に僕はいつものように心を打たれた。朝の通勤途中にも聞き返して、涙を歌う声に触れた時、自分のことを振り返った。この2年間で随分涙もろくなった。最近は簡単なことで涙が出てくる。テレビでちょっといい話を見た時とか、映画で見た単純な演出だとか。仕事でもよく泣いた。悔し涙が多かったように思う。情緒不安定になった訳ではない、と前に書いた気がするが、そうではないと言いながらも客観的に見たらどうなんだろうな、と思う。感情が豊かになったのだろうか。喜怒哀楽の幅が広がったのだろうか。心が弱くなったのだろうか。心が繊細になったのだろうか。全部そうだと言えるし、いや元からだ、とも言える。何故そうなったのかはわからない。学生の内で泣いた回数なんて指折り数えるほどだったのに。でも、このわけを今考えるのは無駄なのかもしれない。多分、答えは未来の自分が歩く道の先に落ちていて、ある時にふとそれを見つけて拾い上げるような気がする。大人になってから、ある時何かを悟ることがよくあった。涙の理由も、いつか分かる時がくるのでしょう。少し日記の間が空きましたが、単に暇がなかったからです。