喪服日誌

唐揚げだけが人生だ。/@yuki_mofk

2016.04.03

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最近日記を書いててまた小難しいことや大それた結論を持ち出すことが増えたように自覚しているけれど、その発端は日常の中の些細でどうでもいい部分から芽を出している話なのだということを書いておきたかった。言葉を重ねる毎に、僕は普通の青年であることを自覚する。本当はそうじゃないのかもしれないけれど、正しい目盛りが刻まれた物差しがどこにあるのか僕は知らない。普通であることに苦悩したり普通であるふりを装ったり、誰しもが通る自意識の変遷も含めて、それは普通なのだ。そんな普通な僕だから、4月からは二度目の社会人生活が始まった。以前の職場の環境や社内の雰囲気とは勝手が違うので当たり前のように困惑し、これは少し時間がかかるなと思って空を仰いだ。花粉と黄砂のせいで晴天にもかかわらず空はもやがかかったように不鮮明で、鼻の奥から滴り落ちようとする鼻水の事を思った。仕事は覚えることが多いけれどそれは前職でも同じことで、なんだかんだと言いながら気づけば身につけていたことだったので、今回もきっとなんだかんだと言いながら気づけば身につけているのだろう。今は研修を受けるべく東京に向かう電車の中でこれを書いている。どこかからお金が転がり込んでこないと新幹線なんて乗らないので、新幹線での移動となると毎回なんてリッチなんだと思う。感覚が貧乏。ちなみに宿泊する宿も銀座近くのカプセルホテル。ただの貧乏。でもいくらこんなケチのような感覚でいても、カプセルホテルをホテルと呼ぶのはどうにも抵抗がある。以前一度だけ利用した時は、壁面一面に並んだ二階建てのほら穴に人が入り込んでいくさまを見て、古代の、洞穴を寝ぐらとしていた古き民の事を思った。いっそそういうコンセプトの宿にしたらいいんじゃないの。夢やロマンが詰め込まれたもので世の中が溢れかえってくれたら日々がもっと楽しいものになると思うのだけど、黒いスーツ一式がキャリーバッグの中を占めているのが残念ながら現実。