喪服日誌

唐揚げだけが人生だ。/@yuki_mofk

2016.05.18

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4月の時の流れるスピードの遅さはガチ、という話と最近忙しいながらも写真を撮る機会に恵まれててやったね!という話をしたかった。まず前者から。ご覧のように、ブログの更新がすっかり落ち着いてしまっている。前職の頃のように勤務中にも日記が書けちゃうような環境ではなくなった為、それに伴いまとまった文を綴る時間も少なくなってきている。文にするべく思考していたものはその時々で途切れて、ウサギの糞のようにぽつぽつと落とされる。それをまとめ上げる思考を働かせる頃にはもうその時とは別の感情が脳を占めるので、結果として日記という体裁を保つに至らないということだ。そんな事は常日頃考えているのだが、とにかく4月は流れる時間が遅かった。新しい環境、人との出会い、それらに順応しようとすると精神的に1日が長く感じて、それに併せて1カ月が長く感じてしまう、ということだろうか。多分そうか。分刻みのスケジュールで1日を過ごす時に1日が長く感じるのも、こなした行動の数よりも時間や出来事に気を配ることが増えたことに原因がある気がする。待ち時間や暇な時に時間が早く過ぎないかと時計を何度も見ては時間の経過の遅さに苛立つあの感じ。なるほど、ここまで書いて自己完結したけれど、時間の経過と精神は、前者は物理的な現象だとしても感覚的には影響し合うものなのかもしれない。ここまで考えてそれっぽく論じることに飽きてきたので話題変えます。写真について。この前、小雨の中を見知らぬ山道に分け入って写真を撮ってきました。満足。僕の好きな(正確には「対象物を自分の好む色合いや質感で写そうとした結果」)「暗くてじめじめしたもの」が多く撮れました。カメラの個性に撮れる写真の色味が影響されたりするのは当たり前だけど、やはりどんな設定にして、どんな切り取り方をして、どんな見せ方をするのかは撮る人間の個性によるものなのだなと当たり前のことを思う。他人が撮る写真を見て、尚更強く意識する。自分がなぜそういう暗さや湿気を、見せ方を好むのか、その根源により深く潜っていけたらもっと作品は進化するのかもしれない。答えを見つけるには深過ぎる距離かもしれないけれど、長い時間をかけて探してみようと思います。