喪服日誌

唐揚げだけが人生だ。/@yuki_mofk

2016.06.05

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横隔膜、という単語が日常の中でふと出てきた時に、それが体のどこにあるものなのかが思い出せずにインターネットで調べるなどした。人間は取り入れて出す以外は内容物がどうなっているかわからない、マジックボックスに脚が生えたような生き物だから、いちいち採血してそれをガラス板の上に乗せて大がかりなレンズで覗いたりしないと構成してるものが分からなかったりする。その配分がある程度狂うと体調も崩れてしまうし、体温だってちょっと上下に振れるだけで体は大げさに反応するから、「人体のふしぎ」っていう博物館や図鑑でよく見聞きするような言葉を目にする度に、確かにな、と思う。くさい余談を敢えて挟むとすれば、”心”だって変化があれば体調に変化をもたらすのにどこを解剖しても出てこないからやっぱり不思議ですね。体の話おわり。先日、低めのテンションで自宅に戻り届いていた手紙の束を解いたら、ひいさんに年末に送った手紙の返事が半年くらい経ってようやく返ってきたので小躍りした。当時何を綴って送り出したのかはもう覚えていなくて、その当時の気持ちには二度と会えないのだと思うと、手紙というのはなんと儚いツールなのだろうと思う。メールじゃ当たり前だけど「送信済みボックス」なんて手紙に置き換えれば本来存在のありえない架空のツールであって、そういう非現実的なものがいつの間にかしれっと現実に居座っているのが面白くもあり、不思議でもあり、少し怖くもある。こんな些細なことをいちいち手紙に書いていたら紙が足りなくなるので、やはり僕には手紙とは別にこういう場所が必要だということ。手紙自体は好きですよ。あなたもどうですか。