喪服日誌

唐揚げだけが人生だ。/@yuki_mofk

2016.07.06

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太陽に熱されたアスファルトと雨によって冷やされた大気が混ざり合って、人の吐息にも似た温度の風が肌を撫でた。梅雨らしいといえば梅雨らしい、じっとりとした雨が降る。雨の上がる翌日は、夜分に溜め込んだ水分の蒸発でやはりじっとりとした風が吹く。近頃こんな調子で、いかにも梅雨らしい気候に触れるのは久しぶりではないかと思った。雨音が全てを支配する時間が、家に一人でいる時、エンジンを止めた車に乗る時、布団の中で目を閉じた時、ふと訪れる。その時間が好きだ。高校一年生の頃、始発電車で登校して教室に入ると他に生徒がいない時間があった。ある日、そんな雨の朝にNEYOのSo Sickを聴いた事があって、晴天の下で聴くよりも、すっと心に染み入った心地がした。雨のノイズに他の存在が霞んで、音楽と自分だけがそこにいた。そんな気分になった。ここ数日、不規則な生活が続いているせいか眠りたい時に寝付けなくなった。世の中にはいろんなアプリケーションがあって、雨音をBGMとして流してくれるアプリが存在する。眠れぬまま迎えた午前4時に鳴らした雨は、自在に雨足の強弱を変え、遠雷を響かせた。目を閉じた暗闇の中でその情景を思い浮かべる内に、いつの間にか眠っていた。雨音に安らぎを覚えるのはホワイトノイズに似ているからで、言われてみれば確かにテレビの砂嵐に似ている。子宮の中にいる胎児も、母親の胎内の中で似た音を聞いているらしい。自然由来の雑音も人工的なものも、原初に立ち返る気持ちにさせるのは面白いと思った。湿度100%の話をしましたが、このブログも開設からもう1年が経ったようですよ。