喪服日誌

唐揚げだけが人生だ。/@yuki_mofk

2016.09.18

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残暑という言葉があるが、暑さが一体どこに残されているのかは今だ解明されていない。わからないまま秋雨前線というものがやってきて、雨で地表を冷やして秋の用意を始める。数日前まで掛け布団を出すにはまだ早いなどと思っていたのに、窓から吹く風が冷たかったから、薄手のふわふわとした布団に身を包むことにした。ここ数日睡眠が浅い日が続いていて、脳が完全に機能していない、もやがかかったような気持ちで日々を生きた。こうして画面に向かって文字を打つことは心から湧く言葉をそのまま送り込んでいるような感覚があるので何も苦にならないのだけど、声に出そうと思うと肉体の存在をひどく意識してしまって、なかなか思うようにいかない。疲労や気分の浮き沈みによって思う通りの言葉がなかなか口から出なくなる。心では飛び跳ねて喜ぶようなことでも、体はぎこちなく笑顔を作る程度になってしまったり、これはとてももったいないことだと思う。誰しもそうであると思うし、心と体の差異をなくせばいいかというとそれが最適解ではないだろうからなんともできない。わからない。わからないことだらけのものに囲まれて生きているのだなと思う。近所の細道の行き先も、名前ばかりよく聞くかの地のことも、天気のことも、好きな人の振り向かせ方も、これからの身の振り方も。最近はいろんなきっかけでいろんな人と出会うようになって、自分と違う道を選んだ人のその後とか、僕が知らないことを知っていることとか、それぞれの人生経験の集積のかけらを時折垣間見たりする。自分も他人に対して何かを見せたり聞かせられる人になっているだろうか。年を取って見た目のステータスが落ちる一方なので、それ以外の部分を磨くとしたら、年収と教養と技術。でもそんな言葉にまとめたら楽しくないから。つらいことが多くあったとしても、それでも楽しかったと笑って死にたいよ。