喪服日誌

唐揚げだけが人生だ。/@yuki_mofk

2016.10.04

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橙の色をした小さな花が路地に敷き詰められた煉瓦の隙間に溜まっていて、見上げれば金木犀の木がそこにあった。早いもので、もう花を付けた木は少なかった。いつものことだろう、と僕は気に留めていなかったが、世間は台風の上陸と接近にやきもきして騒がしかった。そんなことより季節の到来と経過を知らせる花の散り際とその香りの薄らぎが気になった。当たり前のことだが、いい匂いというのはいいものだ。前に日記に少しだけ書いた香水が今はすっかりお気に入りだ。ジャスミンの花の香りだというが僕はピンと来なくて、ジャスミンのイメージといえばジャスミン茶でしかなかった己の認識の浅さを恥じた。ジャスミンの香りは金木犀と少し似ていて、甘い。これを日々纏えるのはとても良いことだ。何故ならいい匂いというのはいいものだから。今まで香水に興味がなかったのは、今まで気に入った匂いと出会わなかったことと、匂いを纏うことにそれほど価値を見出さなかったからだ。だが考えてほしい。これまでの人生の中で、「いい匂いのする人」は確かにいたはずだ。匂いの正体はいろいろある。香水、柔軟剤、車の芳香剤、お香、家の匂い、そもそもの体臭。体臭といえば、何年か前に食べるだけで体からバラの匂いがするガムというものが販売されていたはずだが、特に匂いの種類の派生もなく市場から消えたのは、単に人気がなかったのか、効果が微妙だったのか。ともあれ、ワンプッシュの霧を体に付着させるだけでいい匂いのする人間になれるということは何ともお手軽に自分の価値を上げる手段であることか、と思う。そして実際にやってみれば、他人に対してよりも自分の為に香りを纏うのだ、ということも分かってくる。リラックス効果があることが明確にわかる。国内外のプロサッカー選手が出場前に香水やコロンをつけて試合の合間にその匂いで心を落ち着かせる、という話がよく理解できる。ともあれ、やり過ぎが良くないのはどの話も一緒。今日は昼前に起きて肉を食べて歌を歌ったらもう夕方で、明日も早いのでさっさと寝ます。