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喪服日誌

唐揚げだけが人生だ。/@yuki_mofk

作品のタイトルについて

元々僕は芸術に関しての知識や教養がなくて、でもそのくせに美大なんぞに入ってしまった。その時に、今後そういうものに触れる機会が多いのだから、自分なりにいろんな作品に対してのものの良さを判断する秤を持ってないといけないぞ、と考えました。特に絵画などは描写する技術力の他にも描いた人の思想が強く出るものだから、写実画にしても抽象画にしても、何を観た時に心惹かれるか、そのロジックが自分の中でわかってると他人にもその良さを伝えやすいよな、なんて思った。
で、色々と観てみて共通していたのは、「観たものの正体や示唆する意味が果たして何なのかをいくつも心の中で推測できる」こと、「観たキャラクターや風景が心の中で勝手に動き出し、物語が生まれる」ことで、要するに「観た人の数だけ心の中で物語が広がるもの」が良いのだ、という結論に達した。もちろん僕個人の感想である。
それで作品の良し悪しに関わるもう一点大事なことは”タイトル”で、これが見た目で何とか作品の意図するものを掴もうとしている鑑賞者に唯一文字でヒントを与える、大事なメッセージなのである。これの大事さは自分で作ったものを作品として他人に見せるようになって初めて気付く。そしてこれを決める方法は、もちろん作者が何を意図してそれを表現したかを率直に出せばいい訳だが、中には必ず率直に出すことが良いものとは限らない場合がある。例えば、僕が人里離れた密林の中で、朝露に濡れた一輪の真紅の薔薇を撮ったとしよう。前述のように、観た人の心の中で物語を想起させることに良さがあるにも関わらず、タイトルで単純に「薔薇」なんて付けたら、それだけのものでしかなくなる。薔薇の花言葉だったり、深い赤に雫が浮かぶ様子だったり、色の対比や撮り方でもいろんな表現があるのに、見たままのタイトルをつけてしまったら、逆に想像の幅を狭めてしまって、つまらないものに成り下がってしまうのだ。これは写真も絵画も立体物も全部そうで、「いやそんなん見たらわかるわ!」となってしまったら途端に興醒めしてしまう。もちろん、作者自身にそこに込めた深い意味がなかったり(日常的なスナップとか)、むしろそうとしか言えないタイトル、なんてものもあったりするから、必ずしも何でも感覚的に、遠回しに言えば良いというものではない。逆に遠回しにしてばっかりいると、観た人にとっては「作品はそれなりやけどタイトル中二くさ、自己陶酔し過ぎか」となってしまう。等身大過ぎても背伸びをし過ぎてもいけないのである。
人に物語を与えること、逆に相手に自分の心情が作った世界を伝えられること、このどちらかが伴っている作品はとても良いものだし、自分もそれに近付けたら、といつも思っている。そんな話。