喪服日誌

唐揚げだけが人生だ。/@yuki_mofk

2017.08.28

f:id:yukimofk:20170828204415j:image

思い返せば今年は山登りにカイト飛ばしにボードゲームと三ヶ月ぐらいの周期で趣味の開拓と消費を急いでいるところがあって、若いうちに楽しんだ方がいいことを無意識化で選択してどんどん潰しているのかなぁ、と他人事のように俯瞰した。そんな中今日は朝からクレーム対応で心が死んだ。必要以上の悪意を注ぎ込んでくる人間とはなんなのだろう。魔女狩りを行う人間の狂気じみた扇動と処刑が実際のところどうであったかはわからないが、心に正義の心が燃えていれば誰でも炎で燃やそうと思うのだろうか。人と関わる仕事を続けてきて4年目になるけれど、必要以上の喜びをくれる相手が全体の1%いるとしたら、必要以上の悪意を浴びせてくる相手は5%いる。客の望みをそのサービスで叶えることは”当然”だし、そこに感謝をしろというつもりもない。望まぬ結果になった時に不満を言うのも尤もである。しかし、そこにプラスして、対応した相手を貶めてやろうという悪意を持った人間が、全体の5%はいる。こちらに落ち度があってもなくても、悪意は突然降りかかってくる。特にお客様窓口だとか、サービスセンターという所で働く人々はとても気の毒に思う。悪意を抱えた人間にはそれが吐け口に見えるのだ。ならばそもそも不満のない、完璧なサービスや商品を生み出せばいいのだが、不可能だ。なんだって無理に体内に詰めれば人は死ぬし、説明書に書いていないやり方で怪我をしたり壊したりする人はいくらでもいる。言った言わないの話も声が大きい方が勝つ。この世の人々から悪意という思考回路を全て打ち消してくれればいいのに、と神頼みのようなことを思う。キリストは罪を背負ったというが、こぼれ落ちた罪が多過ぎる。文を読んでわかる通りとても悲観的でストレスにより胃も痛いのですが、いい歌を聞いたらじんとしたし、面白い話を聞いたら笑えたので、これからお酒を飲みながらなんとか生きていこうと思います。