喪服日誌

唐揚げだけが人生だ。/@yuki_mofk

2019.02.13

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ここ数年間の冬はいつも同じストーリーをなぞっていて、雪の降らないクリスマスを過ごしたら溜め込んでいた雪を吐き出す空、除雪を憂鬱に思う年末、師走どころではない忙しさに記憶が飛ぶ正月。正月らしさを感じるために昨年買ったたこ焼き屋の福袋を思い出しながら、今年はマクドナルドの福袋を買った。どちらも出した金額と同じだけの商品券が入っている。原資を取り戻せるものでないと手が伸びないケチなところが出ていると思う。ケチぶりを発揮している反面、年末に嫁が事故を起こして車を壊してしまったので思い切って新車に買い換える決断を下すなど、出すところはちゃんと出した。そして早くも2月は半ばに差し掛かり、今はとりあえず腰を落ち着けるべく入った大阪某所のスターバックスでこれを書いてる。久方ぶりのひとり旅。何かに傾倒しているオタクみたいな気質ではないけれど陽キャ体質でもないので、一人でいると静かに心が沈んでいく感じがある。そこに寂しさや悲しさはなくて、ただ自己が今の自分と同じ気だるい表情でこちらを見返している。夜行バスで12時間揺られた結果、今は目が霞んでいつもより遠くが見えなくなっている。肉体は疲れていても、日常から離れている事、離れられる事自体は幸せな事なのかもしれない。
旅先では簡単なアテだけつけて、ただ歩き回る観光をしている。積極的に人に話しかけたり、人気の観光地を見たいという気持ちもそんなにない。何しに来たの、という問いに、知らない土地の空気や街並みを肌で感じて見て回りたい、という回答が先方の欲する答えとして承認されるのかはわからない。人生の実績を解除して、画面の左上にブロンズのトロフィーが出る人生だったらもう少しわかりやすいか。朝方の道頓堀のストリートはゴミが散らかっていて、それは往来を人が埋めれば見えない景色で、その状態しか観光情報では見せられないことを知る。綺麗ごとの裏どりをすることは子供から大人へ変わることの変遷にも似ている。旅は続く。もう数年、数十年。