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喪服日誌

唐揚げだけが人生だ。/@yuki_mofk

2016.06.23

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夢の中で僕は懐かしのヒットパレードを不特定多数の人々と幾度も大合唱していて、そんなアホのような活動で誰かを救おうとしていて、夢から覚めると実体のない充実感だけが胸の内に残った。ここ一週間ほど好きな人に贈るプレゼントの内容についてあれこれと悩んで、ようやく着地点が見つかったので心の荷がひとつ降りた。普段人になにかを贈る時は割とすぐにこれやこれやとモノを選んでしまうのだけど、今回は珍しくプレゼントのチョイスを小難しく悩んでしまった。贈ったものが邪魔にならず趣味嗜好に合い、役に立ち、きちんと喜んでもらえるか、と悩むのだが、要は自分がうまくそれらの点を器用に押さえ、マイナスの感情(要らないだとかタイミングが悪いとか不快だとか)の発生によって自分の評価が下がらないか、という自己防衛、もっと言えば見栄っ張りの思考なのだな、と気付いてからは、奇を衒うことなく無難なチョイスでもいいじゃないかと思えた。郵便物を送るのとプレゼントを贈るのは、モノを送るのか心を贈るのかの違いなんだと思う。贈る心に迷いがあったりしたら中身もそのようになるということ。人に恋文を贈るのを躊躇わない人がいないように。

今年の夏至は曇り空で過ぎ去ったので少々いやかなり残念だった。いつの頃からか、夏至の日が好きになった。一年で一番好きな日と言い切っていい。燃えるような夕焼けが空を染め上げて、19時を過ぎても空は明るかった。一年の内で日照時間(昼間)が一番長い日だと知って、夕闇の美しい空の色をこんなにも長い時間見る事が出来るのか、と嬉しくなったのだ。「夏に至る」という言葉も好きだ。太陽は夏至を境にまた顔を出す時間を縮めてしまうけど、夏はそこから始まっていく。学生の頃、初めて写真をパネルに貼り付けて展示した時。夏の間に出会った川魚やアメンボ、スズメバチ、セミといった生き物だけを写した「ライフ」という展示を行ったことがある。その時撮影したセミは死骸となってアスファルトの上に寝そべっていたのだけれど、その側には日照りで干からびたミミズのそれも寄り添っていたりして、あんなにも命の栄える季節に、こんなに近くに死が転がっているのだと、なんとも言えない気持ちになった。かつて祖父が亡くなった時も夏の日だった。日が短くなるというのは、何かの終わりが近付いてくるような寂しさとか、怖さも伴っているような気がする。だから、死とかそういう概念と重なる部分があるような気がする。あくまで感覚的な話なのだけど、そんな事を思い出させてくれる夏至の日が好き。