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喪服日誌

唐揚げだけが人生だ。/@yuki_mofk

2016.03.30-2

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コートを着るのをやめて外に出てみれば、気温こそ心地よくも一撃でアレルギーを引き起こす花粉を含んだ春風に目をやられた。効き目が出るのが遅い鼻炎薬の効果を待つ間に溢れ出す鼻水をティッシュで拭う。ゴミ箱には大量に積み重なった白い山。どんなに飾りつけて生活を綴ってみてもこの事実は毎年変わらず纏わり付いている。電車の発車時刻が間近に迫っているからと慌てて外に出てみれば、よく見直せばその時間は電車ではなくバスの発車時刻だったし、背負ってきたカバンには財布が入っていなかった。部屋の床に転がった眼鏡を踏みつけて壊してしまった。何をしてもうまくいかない日は忘れた頃にやってくる。めげない、挫けないという気持ちの覚悟はうまくできる人とそうでない人とがいて、できる人にとっては言葉に出さずとも、ある種冷淡に対処して前を向けるから大した問題ではない。できない人は、めそめそとその悲哀を声に出したり文字に起こしたりする。慰めの言葉はいくらでもあるけれど、大抵諦めや振り切った気分にさせてくれるのは時間の経過だ。時間が解決してくれる、なんてアドバイスがあるけれど、それはひどく投げやりで、他人任せで、しかし真理と成り得ることで、そんな言葉を聞く度に僕は小さく困惑してしまう。時間という言葉は言わばカバーで、そこに内包されているものを明確にしない、できない事に困惑の種があるように見える。でもいちいち人はそんな事を紐解いたりはしない。時間はそういった意味で都合がいい。悔やみ切ったり、泣き止んだり、忘れたりする事のその全てを持っている。暴論を言えば、人間の寿命を待つ事さえも解決の手段だ。時間とは大いなるものだ。でも、どう使うのも個人の裁量だ。ただひとつ言える非情なことは、それは立ち止まり続ける事を許さないということ。